60年代「 ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 」(68)では、”ベトナム戦争 ”と”人種差別 ”を!70年代「 ゾンビ 」(78)では、”物質主義 ”の偏重による”消費社会 ”と”人間のエゴ ”を!80年代「 死霊のえじき 」(85)では、軍人が”銃(権力)”によって民間人を統制しようと暴走する姿を!それらの難題を、ゾンビという存在を媒体にして巧みに描き、人が”生き抜こうとする姿 ”をテーマに描いた問題作ばかりなのです!
そして05年、「 ランド・オブ・ザ・デッド 」の世界は、ゾンビによって完全に荒廃し切ってはいますが、”金を持つ者の権力 ”が、尚も強くまかり通っている世界でもあります。彼らは、人類の英知のシンボルとも言える超高層タワーに住み、”他から入って来る人間は拒もうとする ”特権階級の人間達です。一般の市民は、彼らの支配の下、タワーの周辺で貧しく肩を寄せ合って暮らしています。その中で、「 貧困 」と「 圧政 」から脱出しようとする者、「 金 」と「 権力 」の世界に移り住もうとする者、己の築いた地位を守ろうとする者など、様々な立場の人間が、真剣に「 生き抜こうとする姿 」を描き切った人間ドラマなのです!
ここで描かれる特権階級の者達は、ゾンビの存在を見て見ぬ振りをしています。貧しい一般市民のことについても、全く大事には思っていません。そう、自分達が贅沢に暮らすことしか考えていないのです!人は、自分に関係の無いモメ事には関ろうとはしません。何故なら、ヘタに関ったことで、未成熟で常識知らずのバカ者達( ゾンビと同じ? )に、小さな正義は殺されてしまう世の中だからです!現実も映画の世界も一緒です・・・。
極限を超えた異常世界の中で、我慢と努力と工夫によって力強く生き抜こうとする者、絶望のまま、自らの命を自らで絶ってしまう者、生きる気力を無くし、ヌケガラの様になってしまう者・・・。様々に繰り広げられる人間模様を描くことで、観る者に「 生きることの意味 」を考えさせる、それがロメロの「 ゾンビ映画 」なのです!
「 ナイト・〜 」の舞台は民家、「 ゾンビ 」の舞台は巨大ショッピング・センター、「 死霊〜 」の舞台は地下軍事施設、「 ランド・〜 」の舞台は高層タワー、どれも皆、ゾンビの侵入を阻む隔離施設が舞台となっています。これを現実社会に置き換えれば、家庭( 家 )であり、学校であり、会社であり、国でもあります。どれも皆、安心で安全と言われてきた場所ですが、今や、日常的に殺人事件が発生しています。外部から突然侵入して来た異常者が殺人を犯す。ゾンビと何が違うのでしょう?現実も映画の世界も一緒です・・・。
最後に、今作で一番のポイントは、「 人 」に目覚めるかのように”感情的な進化 ”を遂げようとしている「 ゾンビ 」と、ゾンビの存在を無視したまま、「 人 」としてあるべき感情が崩れ、それを失っていく「 人間 」の墜落・・・。その対比の描き方が面白いことです。
一方、あえて不満を言わせてもらえれば、過去三部作と比較してしまうと、ゾンビ軍団との対決シーンが物足りないです!生理的に攻めてくる「 ナイト・〜 」の不気味さ!ゴブリンの音楽でノリノリ!の「 ゾンビ 」の痛快さ!オドロオドロしい「 死霊〜 」の危機感と緊迫感!「 ゾンビ映画 」としての王道的要素からすると、大きく後退してしまった感が否めません。それが、今作を「 ゾンビ四部作 」の”No,1 ”に導けなかった原因である!と考えています。



ゾンビ映画への深い思い入れを感じさせる記事、面白く拝見させて頂きました。
今作は、人間よりもゾンビの方がよっぽど人間らしいというか、人間臭いというか…。
ロメロ監督のゾンビへの深い愛着を感じた作品でした。
コメント有り難うございます。
>人間よりもゾンビの方がよっぽど人間らしい
「死霊のえじき」の中で、伏線的な出来事が
描かれていますが、今作では、更に発展した
「新展開」が描かれ、考えさせられる部分が
多く生まれて嬉しいのですが、その反面、
痛快なアクションシーンが減ってしまい、
誠に残念と思っています。